遺跡を訪ねて


<桑名市 その3 完結>

桑名市の北部の遺跡です。

 中江城跡

長島一向一揆の拠点のひとつであった、この城跡は水没したと云われてますが、市教委の資料では、
桑名市播磨の上之輪新明社の本殿西、伊奈利社付近を指しています。

 

森小一郎の築城で、天正2年(1574年)に落城しました。


 柳ヶ島(やながしま)城跡

桑名市上深谷部の 「城の堀ポンプ場」 が城跡ですが、何も遺構は有りません。
屋長島城とも書きます。
築城は安藤秀国で、中江城と同様、天正2年(1574年)に落城しました。

 

この城跡の南西部の田一帯が 「柳ヶ島遺跡」 という鎌倉時代の遺跡です。


 山ノ城城跡

桑名市下深谷部の 「雨尾山 飛鳥寺(あまおざん ひちょうじ)」 が城跡で、築城は深谷部監物、
永禄年間(1558-1570年)に、織田信長勢により落城とされています。

飛鳥寺は東寺真言宗、本尊は十一面観音菩薩で、古くは下深谷字坊ヶ谷に有り、
寺領千石、境内周囲約6キロ、12僧坊を有す大刹であったそうです。

 

 

旧地の寺も、天正2年(1574年)に織田信長の兵火により焼失、その地は現在 「飛鳥廃寺」 になっていますが、
柵が施されていて、入れません。

その飛鳥廃寺の南の平地が 「坊ヶ谷遺跡」 という鎌倉時代の遺跡です。

 
           飛鳥廃寺                        坊ヶ谷遺跡  


 北廻(きたはざま)城跡 ・ 西林寺古墳

北廻城は、飛鳥寺の北西200mくらいの場所にある、西林寺が城跡です。
北廻城は、南北朝期の延元年間(1336-1340年)に、近藤右京亮が築城、
織田信長の伊勢侵攻時、滝川一益らにより落城させられました。

 

また、西林寺の後方の丘陵部に 、西林古墳という円墳があり、須恵器、平瓶、高杯などが出土しました。
西林寺のすぐ東に 「深江神社」 があり、ここが西林古墳の祖先崇拝の社ではないかといわれます。
深江神社の祭神は、天照大神の第二子、天之菩毘能命です。

 

西林寺の裏山の斜面は急勾配な雑木林となってますので、入山する気になれませんでした。


 三砂(みすな)屋敷跡 ・ 三砂城跡

三砂屋敷は、三砂城主が平時に住んでいた屋敷でした。
現在は、上深谷部の三砂川堤防の南側の民家となっています。

 

ここから数十m南下し、右手レンガ造りの養老線高架を潜ると、
林道となり、数十m進み鋭角に右折する参道を登ると山頂に薬師如来堂があり、
北側に向けて平らになっている部分が主郭ではないでしょうか。

 

 

北廻城の近藤家家臣の玉井四郎左衛門尉が居城したこと以外は良く分かりません。


 堺城跡

三砂城跡の北側の、森大明神社を含んだ、明光寺手前までの丘陵が堺城跡です。
築城は、片岡掃部頭で長島願証寺の配下にあり、天正元年(1573年)に落城しました。

 
          森大明神社                       明光寺側から


 野志理(のじり)神社

桑名市多度町下野代、美濃街道沿いの神社で祭神は天照大神です。

創始は、第11代垂仁天皇の代 (紀元前29年~70年=99年間) とされます。
垂仁天皇は倭姫命の父で、日本書紀では140歳、古事記では153歳まで永らえました。

倭姫命が天照大神の神霊と、八咫鏡の鎮座の土地を求めて巡幸した際に、四年間奉斎した桑名郡野代宮の旧跡が、
この野志里神社だといわれています。

この神社の境内に、長島一揆の犠牲者とも関が原の合戦の敗者とも伝わる千人塚があります。

倭姫命と桑名」 に、野志里神社を含めた逸話を書いています。


 御衣野(みぞの)城跡

桑名市多度町御衣野  築城は草薙出雲守。
永禄10年(1567年)、織田信長の侵攻により小山・猪飼城などとともに降伏しました。
この年の10月の東大寺大仏殿の戦いで、東大寺は焼失しました。

 

ご覧のように、土採されて何も残っていません。


 大鳥居(おおどりい)城跡

桑名市多度町大鳥居 築城は水谷与三兵衛。
天正2年(1574年)長島一向一揆時の8月に落城しました。

 

こちらも整地され、何も残っていません。


 小山城跡

桑名市多度町小山 築城は高井民部少輔で 足利家家臣の城でした。
永禄10年(1567年)、織田信長の伊勢侵攻により落城しました。

 
         南の民家側から                       土塁?

 

場所は、フローラルアベニュー多度という、住宅街の南端にある藪の中です。

 かしらこ塚

平安時代、中勢から北勢にかけて勢力を伸ばした、伊勢平氏の平清綱(桑名富津二郎)の墓碑です。
碑には、「富津二郎維綱」と書かれていますが間違っています。
維綱(これつな)は清綱の子で、富津三郎です。



場所は、多度町戸津のピアゴ多度店の南西すぐの公園内です。


 宇賀神社古墳群

多賀町柚井の多度山への東からの登山口に宇賀神社があります。



こちらの境内に3基の古墳が見付かっていますが、何の表示もないので、
市教委の遺跡埋蔵地の地図で見当を付けて写しました。

 
           宇賀神社                        1号墳辺り

 
           2号墳辺り                        3号墳辺り     


 猪飼(いかい)城跡

桑名市多度町北猪飼 築城は足利家家臣の小串詮行。

場所も分かりやすく、入口~山道も整えられていましたが、
途中、スズメバチの巣らしきものを見つけましたので、深入りせずに退散しました。

 

 


                        土塁の石積と思われる


 柚井城跡

桑名市多度町柚井 築城は梶田左馬助。

元亀2年(1571年)、 西松要人が城主の代に、信長配下の柴田勝家らに攻められて落城。

5年前に訪れたと時と同じで、立入が制限されていますが、どうも様子が変です。
下の写真で比べてください。

 
           2008年11月                       2013年11月

城跡として整備されている最中なら歓迎ですが・・・

<2021年>
史料が少し増えましたので、追記します。
先ずは全景です。2013年と比較すると竹が成長して城山全体を覆っていますが、手入れされていて、結構見通せます。


           2021年3月



「桑名郡多度町柚井城跡測量の概要」 という
1990年多度町教育委員会発行の薄っぺらい資料があり、
そこに城郭配置図、及び地形図が載っています。



桑名市内で郭や土塁がこれほど残っている城跡は他にはないです。
しかし、写真に撮るとそのイメージが伝わらなくなるのが残念です。


 柚井遺跡

柚井城跡から北へ約1km、、岐阜県との県境にある遺跡です。

昭和3年、耕地整理中に日本で初めて木簡(もっかん)が発見されました。
この板には「櫻樹郷守部春□□□籾一斛」と墨で記されています。
櫻樹郷は石津にあった地名で、その郷の人が籾(もみ)を一石献じたのではないでしょうか。
多度大社や多度山の神事に関する祭祀品の荷札ではないかと考えられています。

三重県教委のHPに発見された木簡が載っています。
木簡 (柚井遺跡出土第1号)


 多度神宮寺跡

多度神宮寺は、多度稲荷神社から多度観音堂の東にかけてにありました。
多度観音堂の観音菩薩像が、多度神宮寺に関わりがあるとされます。

 
           多度観音堂              十一面観音菩薩立像・千手観音菩薩立像

奈良時代末期、満願禅師が多度神の託宣を受け、天平宝字七年(763年) に多度菩薩を中心とした、
三重塔二基・法堂・僧房からなる、日本で3番目の神宮寺  「法雲寺」 を建立しました。

後に国分寺に準ずる扱いをうけ、寺院70房・僧侶300余を数える大寺院となりましたが、
元亀二年(1571年)に織田信長の兵火にかかり焼失しました。

江戸時代の寛永年中(1624~45年)に、第四代桑名藩主、松平定行が現在の愛宕神社の地に、
多度神社の別当寺として、多度山法雲寺を再興したといいます。
別当寺(べっとうじ)とは、神仏習合が許されていた時代に、神社を管理するために置かれた寺のことです。
愛宕神社の境内に、神宮寺の鐘楼跡が残っています。

 
           愛宕神社                      愛宕神社からの展望 

 
          鐘楼跡を下から                    鐘楼跡の石積   

現在、多度大社の東に法雲寺がありますが、別当寺ではありません。


 長島城跡

       

長島城は、桑名市長島町西外面(にしども)にあり、文明14年(1482年)、伊藤重晴により築城されました。
現在の長島中部小学校・長島中学校を本丸とした500m四方を超える縄張りでした。

元亀元年(1570年)に願証寺によって伊藤氏は追放され、長島一向一揆の拠点となりました。
天正2年(1574)、織田信長勢の攻撃により落城しましたが、明治の初めまで長島藩城として使われました。

中部小学校校庭の、本丸西南隅にあたるところに、市指定天然記念物 「長島の大松」 が残ります。
また、長島城の大手門が、同町又木の 「蓮生寺」 に移設されています。

 
            長島中学校                      長島の大松

 
            堀 跡                         蓮生寺

長島町には、他にも多くの城や砦がありましたが整地されたり、水没したりして、遺構が残りません。

竹橋砦     桑名市長島町下坂手  築城:伊藤与右衛門  
押付砦     桑名市長島町押付    築城:伊藤蔵人

以下は水没しました。

願証寺城    桑名市長島町杉江    築城:願証寺証意   
松之木砦    桑名市長島町松之木  築城:森小一郎    
篠橋城     桑名市長島町小島    築城:太田修理    
殿名砦     桑名市長島町殿名    築城:伊藤修理    
小田御崎砦  桑名市長島町西外面  築城:梅戸高資    
大島城     桑名市長島町大島    築城:大島新左衛門  


                      桑名の遺跡 3部作を終わります

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